社会福祉法人 わかくさ福祉会 〒569-1136 大阪府高槻市郡家新町48-2  TEL 072-695-5566 FAX 072-695-5579

つぶやき2025

つぶやき2025

2025年11月2日

  • あきらめていたのですが
    寒さを感じる日々。台所仕事もお湯がほしくなった。
    数日前、数か月ぶりにお湯を出そうとしたが給湯器のリモコンが点灯しない。
    リモコンの表示の問題ならお湯は出るはず。蛇口からは水だった。
    リモコンの接触不良かと取り外してみたが・・・・・・
    ちょうど10年だ。
    業者を呼んだら、おそらく修理をしようともせず交換を進めるだろう。
    2週間ほど前は、電子レンジが突然壊れた。又また続く出費。
    年を重ねるとともに壊れるのは、機械も人間も同じかとあきらめていたら「治せないの?」と素朴な質問がきた。
    昔むかし「靴の底が離れたので靴がないと言ったら、次の日には接着剤で補修されていた。靴を買って欲しいと言ったつもりだったのに!」とお叱りを受けた事があった。
    靴底を接着剤で補修していたら近所の人がのぞきにきた。そんな事が出来るのなら、私の靴も修理して欲しいと持ってきた。
    まだ新しく気に入っている靴だそうだ。修理した。
    ところが外出先ではがれて大変なめにあったそうだ。
    それでも、懲りずにまた修理を依頼された。また修理した。
    その後の結果は聞いていない。
    話はもどる。
    壊れた給湯器。たぶん無理と思いつつ、梯子にのぼり電源コンセントを抜く。
         画像の説明
    テスターで電気がきているか?少し時間をおいて再度差し込む。
    室内でリモコンをさわる。エー!ビックリ!!点灯した。蛇口からはお湯がでた。
    あきらめていたのですが。

2025年10月31日

  • 過去のつぶやきページから
    わかくさは来年50周年を迎えます。半世紀をまとめた記念誌作成にとりかりました。これまでの歴史を語ってもらう人への取材もはじまります。いまなつかしく昔の資料を広げながら当時を思い出しつつ・・・
    以下は過去のページからです
    2009年12月11日
    • 熱かった時代・・・・・確かにあったあの日
      「わかくさの歴史を話して欲しい」という依頼が1ケ月ほど前にあった。
      気楽に引き受けたがその日が迫ってきて慌てている。
      本棚の奥のおくから昔の資料を取り出した。
       画像の説明
       文化住宅時代(1977年)   高槻市長に要望書を渡す(右奥 西島市長)
      30数年前の若かりし頃を思い出し懐かしい時間を楽しんでいる。
      1976年、日曜日だけの作業所から「わかくさ」は始まった。
      翌年、ひと月2万5千円の文化住宅を借りる。
      公的なお金は全くなく、家賃は街頭で通行人にカンパを訴えた。
      7万5千円だった職員給与の財源は、市民からの1口1万円の債権(借入金)の100万円だった。
      市役所に「公的な助成制度と場所の提供を求めて」ハチマキを締めて何度も交渉した。
      1978年、やっと手にした高槻市母子寮跡での喜びの開所式。
      無認可時代の「わかくさ」は、多くのボランティアに支えられた。
      同世代の、若者が毎日、仕事がえりや、学校がえりに集い夜遅くまで活動した。
      障がいをもった仲間たち・・・・利用者ではなく本当に仲間だった。
      カレンダー1万本販売。署名3万筆。3日間連続バザー380万円。をあたりまえように達成。
      1985年、社会福祉法人取得、認可施設が実現した。
      あの頃、集っていた人は誰もが熱かった。
      いまでは、皆、とっくに人生の折り返しを過ぎている。
      当時を語る人も、語れる人も周りには少なくなった。
      みんな元気でやってるかい?
      知らずしらず、あの時代を語り合いたいと思う歳になっていた。

2025年10月28日

  • もう冬ですか?
    10月なかばまで暑さが続き秋を感じる時もなく寒い日々。
    エアコンは休む暇もなく冷房が終わればすぐ暖房。
    地球がおかしい。日本の四季は何処に行ったのだ。
    いくらぼやいても気候には勝てない。
          画像の説明
    ぼやいていたら、『今日はこれで美味しいビールでも』の言葉を添えてうれしい頂き物が届いた。
    おいしそう。丹波篠山産黒枝豆だ。もう頭と口はビールになってきた。
    丹波篠山の黒豆は10月初めが解禁日。
    篠山市内は街道沿いに黒豆販売のテントが並ぶ。
    道路は大渋滞。それでも、黒豆を求めて多くの人篠山に集まる。
    秋を黒豆が運んでくれた。
    そして、もう一つ。これが秋を運んでくれた。
    画像の説明
    数年前に自作した焼き栗機。
    鍋をこんろにかけてくりくり(栗、栗)回す。焼き栗ができた。
    秋ですね。寒いけど。

2025年10月22日

  • わかくさ 昔ばなし 映画会
    無認可時代から今日まで何度も映画会やコンサートなどのイベントを取り組んだ。
    映画会は、きょうされんが制作した『ふるさとをください』『どんぐりの家』「星に語りて~Starry Sky~」などだけでなく、無認可時代から取組(行事)のひとつだった。
    大規模に取り組んだ映画会は1982年の『ぼくらの学校』だった。この映画は、1981年の国際障害者年を記念した制作された。京都府の与謝の海養護学校が舞台で学校の設立の意義と障害児教育実践の教訓を多くの人々に知ってもらう目的の映画だ。
    同時上映は『母さんは歌ったよ』だった。
    6月13日に開催。大阪映画センターが上映とポスターヤビラの宣伝物を作成。
    会場は市民会館大ホール。大きな会場なので片手間では取り組めない。作戦がいる。
    当時、山田洋次監督の映画『同胞』(はらから)のモデルになった『統一劇場』という劇団に惚れ込み、高槻で公演を何回も成功させていた中心人物のIさんがいた。
    成功させる秘訣をうかがった。
    ①絶えずチケットを小袋にいれて持ち歩く事。②とにかく、チケットを預ける事。③さらに、預かってもらえそうな人、団体を紹介してもらう事。④定期的に電話などで様子を聞く事。④当日までに現金化する事。などだった。
    市内の学校を訪ねクラスだよりなどにも載せてもらった。(事前に複数の版下は準備していた。・・・・これも教わった事だ)
    結果は、当時の資料が手元ある。大人565名。子ども189名。とある。合計754名。
    多くの人が集ってくれた。
    これ以外に、小規模な映画会もあった。
    小学校の体育館で開催した時はエアコンがない。とにかく暑かった。たらいにベタの氷(氷柱)を用意した。効果?あまりなかったと思う。費用をおさえるために16mm映写機を借りてき自前で映写。上映はできたが映写機の操作ミス(たぶん)で床にフィルムが散乱したこともあった。
    また、旧高槻商工会議所2階のホールで開催した夜の部では、関係者を除けば観客1名だった。顔見知りでもない、その人は、途中で逃げ出す(離れる)こともなく最後まで鑑賞していただいた。
    1名に向かって閉会の挨拶をした。心からありがとうございました。   画像の説明

2025年10月16日

  • いつも、いついつまでも、国民の暮らしは後回し
    久しぶーりの政治ネタです。
    毎日のニュースで目にする「次の総理大臣」ですが、どのようにして決まるのか?
    総理大臣は国会議員から選ばれる。
    衆議院で総理大臣の指名選挙が行われ、過半数の票を得た人が総理大臣の候補となる。1回目の投票で過半数に達した者がいない時は上位2人より決選投票を行い多数を得た者が候補になる。その後、参議院でも総理大臣の指名選挙が行われて候補者が決まる。衆議院と参議院で指名された人物が異なる場合は、両院の代表者による協議が行われる。両院協議会でも意見がまとまらない場合は、最終的に衆議院の議決が優先され、総理大臣が決定する。つまり、衆議院で多数をとったものが総理大臣となる。
タニク無題.jpg

総理大臣には任期はないが内閣が総辞職した時は辞職となる。
法や制度からいえば内閣が総辞職していないので石破総理が交代する必要はない。
では、なぜ今、衆議院選挙もなかったのに総理大臣が交代か?
自民党のお家事情だけだ。
いわゆる石破おろしだ。まず、自民党の総裁選を仕掛けた。
高市氏が総裁になった。自民党の総裁イコール総理大臣になれると大喜びした。
ところが、公明党が高市さんでは、やっておれないと逃げ出した。


これは、公明党関係者以外はだれも想像していなかった。踏まれても踏まれてもついてくる『下駄の雪』と揶揄され、大臣ポストをぶら下げたら絶対ついてくると高市さんは思っていた。連立離脱を表明した晴れ晴れとした公明党党首の笑顔と対照的な憮然とした高市さんの表情が何度もテレビに流された。
ここまで来たらなんでもあり。なんとしても総理になりたい高市さん。国民民主、維新、参○党、保○党、○○の会、餌をバラマキながらとにかく総理指名投票で『高市』と書いてくれる政党さがしに奔走。
困った事に、目の前のお肉か人参か、よだれを垂らして餌にとびつく政党までできた。
もっといっぱい餌を頂戴と『政策協議』と言って、おねだりする。
あーあ みにくいい。山犬(やまいぬ)集団だからしょうがないという人もいる。
主義主張ををすてての数あわせはいかがなものか?と、いままで数合わせですり寄っていた当事者の公明党党首がいっていた。どの口で言うのか!あきれたが、もしかしたら経験でつかんだ教訓からかも。
先の参議選挙で皆さんが語った経済対策はいつ議論するんですか?
やっぱり、国民の暮らしより、大臣の椅子が大切なんですね。
結論:法や制度的にも、現状からも石破総理が辞める必要はない。(今は)
         石破やめるな集会が各地で始まりませんかね。

2025年10月8日

  • わかくさバザー・・・・昔むかし・・・ その④
    バザーは、物品販売だけでなく、わかくさを押し出す、市民や他団体との繋がりをつくる事を絶えず目標にしていた。高槻市立つきのき学園などの障がい者施設の展示コーナー。障害者団体や共同保育所の販売コーナー。福祉施設の利用者の皆さんのステージ。わかくさの紹介パネルや仲間の作業実演コーナーなど様々だった。
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    ステージでは、シンガー・ソングライター 野田淳子さん(上条恒彦さんに認められ1970年にプロデビュー)や夫の中島光一さん(NHKみんなの歌で放送され音楽の教科書にも掲載された『大きな歌』の作詞、作曲者)なども駆けつけてくれた。
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    中島光一さんは、大学時代から活動をし、卒業後、大阪の障害者施設で働きながら創作演奏活動をつづけていたのが縁だった。
    野田さんとの打ち合わせでマイクなどの放送設備は、わかくさが準備する事になっていた。当時はなんとも思わなかったが、今から思えば、恥ずかしく、失礼をした。
    用意した放送設設備は、音さえでればよいと思っていたので小学校からお借りした運動会用で、スピーカーはラッパ型だった。それでも嫌な顔ひとつされなかった。
    今でも、元気に活動されているそうだ。あの時は、失礼しました。
    おかげさまで、わかくさも大きく育ちました。
    画像の説明
               歌手の野田淳子さんを囲んで


2025年10月6日

  • わかくさバザー・・・・昔むかし・・・ その③
    無認可時代、バザー以外にも、映画会、コンサート、カレンダーや昆布の販売、地域や他団体の祭りなどへの出店、署名活動など年中暇なしだった。
    なかでも、わかくさバザーは、わかくさにとって一番大きな取組だった。
    財政面はもちろん、地域の中に、わかくさを押し出し、支援の輪を広げる活動でもあった。
    協力をお願いするビラは、今ではみないザラ半紙に印刷した。印刷機も今では見ない謄写式輪転機。ありがたいことに寄付で頂いた。暇な時間があれば、輪転機をまわし印刷をする。紙の代金も心配になるほど何万枚も刷る。文房具屋さんからは商品にならない日焼けした紙だから!といって無償でいただいた事もあった。いろんな人に応援されてバザーができた。
    来場を呼びかける宣伝は大事な作戦の一つ。今の時代のように、ネットもSNSもない。
    マスコミが取り上げてくれるでもなく、ポスター、ビラしかない。
    画像の説明
        緊張しつつマイクをもって   パンダも駆けつけた
    当日も、駅前でビラを配る。マイクで呼びかける。プラカードで宣伝、案内。
    目立つように、手作りのぬいぐるみ(パンダ)を着たときもあった。
    この後の話。3日間のバザーを終えて
    パンダのぬいぐるみが消えた。
    いつもゴミだしを手伝ってくれる仲間のYさん。ゴミの日にゴミと思って集積場所にだした。気づいた時はすでに遅し。市役所にも電話したが無理だった。
    当時ごみ袋は、中身が見えない黒が主だった。ごめんねパンダ様。

2025年9月29日

  • 遅くなってゴメンよ。
    行きつけのガソリンスタンドがある。
    いつでも150円代。安さにひかれて行き始めた。この日は159円。
    このスタンドを選ぶ理由はもう一つある。
     
    ガソリンスタンド.jpg
    店主の遊び心である。
    「ご案内」というメッセージがある。

    この日のご案内は、

    『暑さ寒さも彼岸まで』 
    ホンマかいな?って思ってましたけど急にきました。
    先日17日にLINEが来ました。
    彼岸花 ⇒ 遅くなってゴメンよ!

  画像の説明
彼岸が来ても暑さがつづく。彼岸花も暑さのせいで、まだ咲かない!と思っていたら
   彼岸花から、LINEが来た。『遅くなってゴメンよ』 遊び心を見た。
   こせこせした世の中。遊び心をもって、のんびーり暮らしたい。
次回の『ご案内』を期待してアクセルを踏む。また来ます。

2025年9月22日

  • わかくさバザー・・・昔むかし・・・その②
    1978年から85年3月末までが母子寮跡時代(1985年4月法人設立、認可施設開所)
    母子寮跡時代、バザーの規模は重ねる回をごとに大きくなった。
    第2回バザー『1978年)は駅前デパート。
    弟3回バザー(1979年)から第8回(1984年)まで、JR高槻駅南のグリーンプラザ1号館の屋上が会場だった。。
    この場所は、夏にはビヤガーデンで賑わっていた。
    バザーの売場台はコンパネ、脚は、酒屋さんから借用した酒箱。テントは福祉施設、団体、工務店などからお借りした。
    テントや荷物運びに高槻北高等学校の男子生徒が大活躍してくれた年もあった。

    画像の説明
      屋上にテントを設置 松坂屋のロゴが少し覗いています  舞台も設置しました

    この時代、多くの若者が仕事終え、学校を終えて作業所に集まった。ボランティアと呼んだが、お手伝いではなく運営、運動の中心だった。
    友達が友達を誘う。ボランティアの人数がどんどん増えた。
    夜7時を過ぎから10時頃までが活動時間。
    バザー準備期間は、夜中に犬に吠えられながらビラを撒いた。
    画像の説明
    日曜、祭日には、物品集め。リヤカーを引きながら、仲間、家族、ボランティアで地域を一軒一軒訪問。約2か月間、毎週続く。
    売上380万円の年もあった。(11月に3日間開催)
    昔の資料を広げると(第3回バザー
    ○電話受付 173件から物品提供
    ○地域用ビラ 市内28町に29,800枚配布 個別訪問で1,861件から物品提供
    ○街頭ビラ① バザー宣伝用駅前9日間で35,000枚配布
    ○街頭ビラ② 当日呼び込み用 3日間に32,000枚 
    ○ポスター  1000枚 とあった。
    画像の説明



頂ける物は日用品、衣類、古本はもちろん冷蔵庫、家具、何でも頂いた。
山のように集まる物品に値段つけも大変だった。民生委員、地域のボランティア団体の協力も得た。
福祉施設にも泣きついた。高槻温心療からは、職員研修として多くの人が駆けつけてくれた。
やる前から、大変だから・・・とあきらめる事はなかった。
ぶつかった時、やれる方法を考えた。そこから、多くの繋がり、財産が生まれた。




笑い話だが、
その①  ボランティアUさんは、自宅に帰る用意をした。帽子がない事に気づく。値付け済のバザー品物の中にあった。お気に入りの帽子に付けられた値段(タダ同然)をみて目がマンマル大きくなっていた。周囲は笑った。
その②   こんな品物も頂いた。
裏庭の柵の中に放し飼いにしているから勝手に捕まえて・・と

画像の説明

当時の呼びかけビラには、タオル、石鹸、食器、古本、学用品、衣類、食料品、おもちゃなどのご提供を!書いてあった。
どこにも該当しないとは思うのだが?(もしかしたら・・・・)それはない。

もちろん会場に運んだのですが、これには買い手が見つからなかった。
あひるちゃんはどうなったか?質問を受けた。
高槻市森林観光センターで飼ってもらえることになり、ほっとしました。

2025年9月20日

  • 失敗と書いて、成長と読む。とあるが
    壊れても良いなら何でも持ってこい。丸鋸(カーボンブラシ交換)、フードドライヤー(温度ヒューズ交換)、バイク、草刈機(刈払機)、エンジンポンプ、発電機・・・・・これまで、いろいろと修理を頼まれた。
    壊れてしまったら困る物はお断りだが、治れば儲け。治らない時は粗大ごみ。そんな時は出番だ。
    昨日は、自転車のパンク修理の依頼。本日は、電気シェーバー。
    自転車は、パンク、タイヤ交換、チェーン交換、ベアリング交換など何台も経験があるので問題なし。
    今回の電気シェーバー(髭剃り)は初めてだった。
       画像の説明
    症状は、スライド式スイッチが動かない。原因は落下との事。
    さあー分解、分解。本来の位置に収めて修理完了。
    最近のバッテリー(充電用乾電池)にはびっくり。これ一本で髭剃りができるのだ。
    ネットでみたら、新品なら満充電で1週間から10日使えるとか!
    寿命は、2年から4年とあった。充分だろう。
    治らない時も多々あるが、なんとかなっている。まさに失敗が財産になっている。
    野村克也さんの名言。『失敗と書いて、せいちょう(成長)と読む。
    失敗して、自分の間違いに気づき、反省し、どうすればうまくいくか真剣に考える。
    ゆえに、失敗をせいちょうと読む。とある。
    失敗しても真剣に反省していない自分がいる。
    肥しには、なってもが成長はできない。
    (修理の話です。)
    日々の生活では、反省の連続です。口先だけだと怒られていますが

2025年9月15日

  • 先も立ち、我も立つ
    茨木市の安威川をのぼり亀岡市のスポーツ公園に行く途中に亀岡市東別院町東掛六田という村がある。
    『石田梅岩先生誕生の地』という大きな看板がある。
    9月に記念館が新築されたので行ってみた。オープンしたばかりで展示物などはこれからのようだ。

        画像の説明
    石田梅岩(いしだ ばいがん)は、江戸時代中期(1685年)の生まれ。独学で思想を学び庶民に『人の道』を説いた。
    教えの根幹は、「正直」、「勤勉』、「倹約」という3つの徳の実践である。
    『人の本当の価値は、生まれ、財産、学歴ではなく、その心根の誠実さにある』と説く。人の心・人間の本性を追求した石門心学の開祖である。
    記念館の扉をあけると、『先も立ち、我も立つ』とう言葉が迎えてくれる。
    まことの商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり。
    現代の企業経営者で学んでいる人も多い。まずは、お客さんを立てる。続いて、仕入れ先や取引先を立て、働く人(従業員)立てる。己は最後である。くどいが「己は最後」である。石田梅岩の言葉は脈々と現代にげ受け継がれている。
    備中松山藩の藩政改革を断行し、財政を立て直した教育者、山田方谷の言葉『義を尽くして利を計らず。』に通じる。
    ドナルド・トランプ大統領の「アメリカファースト」
    小池百合子東京都知事の「都民ファースト」
    参政党の「日本人ファースト」
    この方々は、人の道を外れている。
    政治や商売だけではない。
    己を先に出す人には、人は近寄らない。
    その人がリーダーの集団は、まとまらない。平穏に見えても、何かのきっかけで不満が吹き荒れる。

2025年9月15日

  • あなたならどうする?あなーたなら?
    最近、道の駅など農産物の直売所が賑わっている。
    道の駅ではないが、よく利用しているJA(農協)のAコープの店舗で買い物をした。
    入口の野菜売り場は、産直野菜。近隣農家の物販コーナー。
        画像の説明
          なんと、ピーマン一袋がこの値段(3円)
    レジで、訂正があるかも!思いつつ買い物かごに入れた。
    レジでも3円。だった。
    30円でも安い。300円では高い。3円は庶民の味方の経済対策か?
    レジもバーコードを読み取るだけ。店員さんも機械的作業をこなすだけ。
    レジタル社会の盲点かも知れない。
    便利さや効率化ばっかり追求してはいけない。と思ったが、
    店員さんに不思議な値段を聞くこともなく買い物袋にピーマンを入れた。
    あなたならどうしますか?あなーたなら?


2025年9月10日

  • きょうされん大会
    第48回の全国大会が奈良県で10月17・18日に開催される。来年は大阪で開催予定である。
    きょうされんは、1977年に全国16か所(内6か所は大阪)の共同作業所によって「結成された。結成当時は『共同作業所全国連絡会』と称し愛称が『共作連(きょうされん)』だった。(現在は、ひらかな『きょうされん』)
    わかくさの文化住宅時代だ。資金づくり、地域おこし、補助金制度、仲間の仕事おこし、など全国の作業所と交流したいという声は、わかくさでも切実だった。
    翌1978年6月、第1回の全国集会が東京で開催され全国から約600名が集った。

画像の説明
横断幕が当時の姿を映し出す。すべてが手作りの集会だった。熱い願いを感じる。
当時のわかくさは、利用者10名。職員1名だったが多くのボランティアも参加した。
画像の説明
 第1回全国集会 わかくさの腕章をつけて参加しました。   みんな若い!

第2回集会は大阪で開催した。今は建物もないが、森ノ宮の大阪府立青少年会館をメイン会場にした。(橋下知事時代に廃止、約32億円で売却)
話は横道それるが、ミスタープロ野球と呼ばれていた長嶋茂雄さんは試合前に「俺のストッキングがない」と大騒ぎ。片足に二枚穿いていた。というエピソードを持つ。
共作連の代表は名古屋のSさん。この人もすごい人だ。ミスター障害者運動だ。
開会式で主催者を代表して挨拶の場面。演壇に向かう足元は、昨夜の宿のスリッパだった。急いで、近くの人の靴を借りた。当日の司会だった私はあわてたが、Sさんも周りも平然としていた。よくある事らしい。
当時30代だったSさんには、今日まで何かにつけてご指導いただいている。
きょうされん大会は、これまで大阪では、1978年。1985年。1997年に開催した。
1997年の第20回記念大会は、南港のATCホールをメイン会場にし全国から5000人が集った。実行委員長は作家の藤本義一さん。記念講演もお願いした。
この大会で学んだ事がある。
大会準備に1年間。各作業から集まった職員達の働きぶりである。
『私がやります』と自主的に仕事を取り合うのだ。奪いあうといった方が当てはまるかもしれない。この集団、組織は笑顔にあふれ、いつも笑い声があった。こんな集まりは元気がある。仕事は押し付け合うものではない。奪い合うものだ。
来年の49回大会。29年ぶりに大阪にやってきた。大阪ではすでに準備が始まっている。
仕事を奪い合って笑顔の大会(まつり)にして欲しい。

2025年9月9日

  • 安さにつられて
    昨年の事だが、ゴーヤの苗だと思って買ったら○○○だった。
    鉢に植えて育ち始めて?葉っぱが違う。
    老眼鏡なしで小さな文字が読めなかった。安さにつられた。
    苗を買う時は、基本は安価なもの選ぶ。安い苗ほど丈夫で育てやすい。
    金魚でも丈夫な和金(ワキン)が安くて育てやすい。
    云々いうが本当はケチです。
    捨てるのはもったいないので育てた。実もなった。
       画像の説明
    今年は、昨年の種から芽が出た。大きく育ってきた。
    花弁大きく目立つ。道行く人が見上げている。実も成りはじめた。
    成功・成功『転んでもただでは起きない』?・・・・?
    これもいい。『ヘチマ』でした。

2025年9月6日

  • わかくさバザー・・・昔むかし
    もうすぐ、バザーの季節である。
    わかくさの初めてのバザーは1977(昭和52)年だ。
    無認可2年目の文化住宅時代だ。
    画像の説明
         高槻市城西町 宮崎荘102号室 初めてのわかくさの砦 1977年
    会場は高槻阪急百貨店。当時は西武百貨店(高槻店)1階のエスレター横の広場だった。物品の多くは関係者が持ち寄り規模も小さかった。

    翌年、1978(昭和53)年。文化住宅から念願の母子寮跡に移転。
    作業所の仲間(利用者)も増えた。職員も2名になった。
    運営費に初めて公的補助金が付いた。(大阪府簡易通所授産事業助成金・・年間77万円)
    わずかだが、うれしかった。
    いくら叩いても、たたいても開かなかった重い扉が動き出した気がした。
    画像の説明


    しかし、運営費の殆どは、バザーやカレンダー販売、寄付金などに頼らざるを得なかった。
    また、バザーは地域に根をはり支援者づくりでも欠かせないイベントだった。



    広い場所でバザーをやりたいと会場探しに奔走。
    バザー物品は、地域にビラ配布、毎週日曜日ごとの戸別訪問などで寄せられた。
    職員のN川は、いつ壊れても不思議でないと思うほどのボロボロのオートバイにリヤカー縛りつけて遠くまで物品を頂きにいっていた。(わかくさには車は1台もなかった。)今なら、おまわりさんにお叱りを受けるだろう。
    宣伝、集客方法など夜遅くまで作戦を練った。・

第2回バザー 会場は,高槻芥川商店街の駅前デパート。
改装前の3階をお借りする事ができた。
当日は、商店街の入口で呼び込みもやった。

画像の説明

ゲスト応援に、元朝日放送人気アナウンサーの『中村鋭一』さんが、駆けつけてくれた。
中村さんの司会でオークションが始まると、他の階の店員さんまで詰めかけ会場は多くの人で埋まった。
その時のオークションの目玉は『ウインドファン』だった。時代を感じますね。
  (写真 1978年 オークションの司会 中村鋭一さん)

こんな昔話は鮮明に覚えているが、昨夜の夕飯すら思い出せない。
人の名前なんて覚える事さえ出来ない。
『先生、先生』と読んだり呼ばれる。敬意?便利な言葉だ。

中村鋭一(なかむら・えいいち)
 朝日放送の元アナウンサーで同局ラジオ「おはようパーソナリティ中村鋭一です」の名物パーソナリティーとして活躍し、衆参両院の議員を務めた。プロ野球阪神の熱烈ファンで知られ、球団歌を「六甲おろし」と命名し、自ら歌ったレコードをヒットさせた。2017年87歳で死去された。

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 1978年から母子寮跡で 元は陸軍工兵隊の建物:現在は城跡公園(城内町)
障害があってもできるかも!と、ボランティアさんから寄贈されたゲートボールを

2025年9月2日

  • ゴーヤの話・・・元気をください
    『秋の風が吹いて 舟をたたむ頃・・・・』いう歌いだしで始まる歌があった。
    9月なのに秋の風は吹かない。吹く気配もない。
    暑い、熱い夏。いつまでも我が家はゴーヤが育っている。
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         写真 上:小さいながら我が家の間口全部がゴーヤの棚  
         写真 下:ゴーヤの棚を下から覗くと
    植え付け前の4月、我が家の前で知らない70代ぐらいの女性から、『今年のゴーヤはまだですか?』と尋ねられた。
    こんな話だった。

結婚したばっかりの頃。ご主人の故郷の鹿児島からゴーヤが送られて来たが、食べ方がわからない。ご主人が料理をしてくれた。
今は、ご主人は亡くなられていない。
ここで、ゴーヤをみると元気がもらえる。今年も元気を下さいね。

こんな話を思い出しながら夜明けとともに世話をしている。
すべてプランター植えだが、土づくりと水切れしない工夫でよく育っている。
毎日3~4本が収穫できる。
ゴーヤ食べ方をよく聞かれる。
 ①スライスして湯通し。しぼって削り節にポン酢・・・酒のあて
 ②から揚げ、てんぷら
 ③なすびと豚肉炒める。砂糖と味噌で味付け
 ④お好み焼き風ゴーヤ焼き(水は少なめ。ひと口サイズ)
 ⑤肉詰め焼き・・・・
 ⑥○○○なんでもいい。やりながら次が生まれる。
我が家だけでは食べきれない。
見知らぬ人にまで食べますか?一本どうぞ。

2025年8月29日

  • 久しぶりにつぶやきました。・・走り続けるには・・
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ヤマハパッソルⅡ 40年以上のバイクである。
今でも現役。時々機嫌が悪くなることもあるが、なでなですると機嫌も直る。
ガソリンとオイルたまにタイヤの空気圧。毎日の通勤に活躍している。


さて、本題
最低賃金が過去最高の6パーセント。63円のアップらしい。大阪では1177円だ。しかも、数年内には1500円。本気らしい。
物価高騰が続く。働く立場からいえば賃金のアップは当たり前だ。
10月からは、我々福祉現場も対応が迫られている。
いわゆる時間給で働く人のみだけでなく、正社員、正規職員などとよばれる月給制で働く人の給与も比例的に改善が求められるが出来そうもない。
資本、資金力がある企業は賃金アップを売価に転化できる。する。
 しかし、障害福祉サービスの事業者に払われる対価は3年1回見直される公定価格決まり、売価に転化できない。賃金アップの財源がない。
経営をじわりじわり苦しめる物価高騰。最低賃金が上がればさらに物価はあがる。
さらに福祉職場は深刻な人手不足である。運営の工夫、努力は限界だ。
いまこそ、人手不足の解消、最低賃金アップに応えるためには政府の手立てがいる。
40年前のバイクでもメンテをすれば走る。でもガソリンがないと走らない。オイルを切らすと焼きつく。墓場行きだ。福祉現場なら運営できるだけの財源の確保だ。
このまま政府の無策がつづけば事業を撤退するところも出てくる。(いる)。
日本から、地域から福祉を必要とする人を支援する基盤がなくなっていく。
2年後の報酬改定までまてない。
最賃アップ率に準じて、まずは6%相当の基本報酬をアップするのが筋だ。
お金に釣られて職を選ぶ。これには賛同できないが、あまりにも福祉現場の給料は低い。
給与が上がれば、人材不足解消の一助にはなる。
財源はある。この間、減税した税を元にもどせばお釣りがでる。
追記
久しぶり(2年半)に、つぶやいたら疲れました。酒飲んで寝よー!

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