つぶやき2010
2010年のつぶやき
2010年12月26日
- 備えなくとも憂いなし
25日、久しぶりに映画を見に行った時の事だ。
17時頃からの上映に合わせて、電車で高槻駅下車。
上映券を購入し、軽く食事も済ませて、飲み物を購入して着席。
上映時間を少し過ぎた時、スタッフが登場。
『ただいま映写機のランプを交換中です。しばらくお待ちください。』
5分後に別のスタッフ登場。
『修理には、15分から20分程度かかります。お急ぎの方は・・・・・・』
さらに、10分後にスタッフが登場し
『本日の上映は中止とさせていただきます。払い戻しは・・・・・』と、さらっと言われて唖然とした。『ごめんなさい』の気持ちも感じられない。
不思議な事に、誰一人苦情も言わず、払い戻しの行列に並ぶ。
『飲み物も買ったのに』の声にスタッフが反応し、付け足しで『飲み物も払い戻し・・・・』
みなさん、こんな事って、よくある事ですか?
映画館のスタッフのブログに『備えあれば憂いなし』という表題で火事に気をつけようという書き込みがあった。
この映画館の備えは不十分だと思う。
映写機の予備?。払い戻しのマニュアルもないか、もしくは徹底されていない。
でも大丈夫だ。スタッフの方々は『備えなくとも、憂いなし』だった。
この映画、翌日には上映されていた。故障の原因解明は特命係にお任せだ
2010年12月16日
- 微妙な気持ちで
わかくさ障害者作業所は今城塚古墳の外堤に隣接(おそらく、古代は外堤部分)している。
高槻市では、今城塚古墳の整備事業を進めている(来春完成)。
古墳の整備工事は、足掛け7年の大工事だ。
木を切り、堤や堀、造出を復元し、埴輪を設置し古代の姿に近づける。
完成目前の古墳を職場の屋上からみると、工事前の面影はどこにもない。
また、同時に今城塚古代歴史館新築工事を進めている。
府立近つ飛鳥博物館には及ばないが大きな施設である。
歴史好き人!是非お越しください!まもなく完成ですよ!
撮影 2010年12月16日
いくら金を使ったのか?と、微妙な気持ちであるのだが・・・
2010年12月12日
- 行って見らなー! 行列は夏よりも長かった。
越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)現地説明会にいってきた。
今年の9月牽牛子塚古墳の現地説明会と同じ場所だ。
牽牛子塚古墳は八角形であることが明らかになり、前々から囁かれていた斉明天皇陵説を後押しした。
発掘調査を終えた牽牛子塚古墳の埋め戻し作業中に、隣接地に新たな古墳が発見されたのが今回の越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)だ。
天井石の大半は後の時代に割られて持ち去られていた。
係りの人に『何処に消えたの?』と熱心な見学者が尋ねたら、『泥棒にでも聞いてみてください』という返事にはマイッタ。
日本書紀では、斉明天皇陵に接して築造された墓に斉明天皇の孫娘の大田皇女が埋葬された記録があり、今回の発見は記述が証明された大発見だそうだ。
牽牛子塚古墳=斉明天皇陵説に異を唱えるものは、宮内中以外は無くなった。
まー、それにしても物好きな人がこんなにいるとは?いつも驚く。
暑くても、寒くても、1時間も2時間も並んで待って見学は10分程度なのに、である。
待ち行列の中で、おばちゃんの会話が耳に入ってきた。
『美容院でパーマしながら興奮ぎみに話したの!「今度写真をみせて」と言われたけど、行って見らなー!』『そうよ!そうよ!見らなーね』
納得である。暑くても、寒くても、現場で風に触れてこそ!である。
2010年12月9日
- 舌の根も乾かないうちの2枚舌
こんなタイトルを付けると、もしや自分の事では?と心配する人がいるかも知れませんが決して○○さんの事ではありません。
『舌の根も乾かぬうちに』とは、短期期間に平気で前言を翻す事をいう。
この度の自立支援法改正案可決にいたる政府、民主党の態度がこれである。
障害者自立支援法違憲訴訟が和解した時、大臣は調印式で「(法律で)皆さまの尊厳を深く傷つけ、心から反省の意を表明します。」と述べ、自立支援法制定における、「拙速すぎた。」「当事者の意見を十分聞いていなかった。」いう過ちを認めた。
それなのに、今回も当事者の声を聞くことなく、短時間の審議で民主党も賛成し可決した。訴訟団への完璧な裏切り行為である。
舌の根も乾かないうちに・・・・である。
政治家は平気で前言を翻す。
選挙への出馬は200パーセントない!といった橋下知事。
知事になってからも平気で計算づくで?発言がよく変わる。
平松市長は『(橋下知事の発言の)一つひとつに反応することはやめる』そうだ。
鳩山元総理は、引退するといったが再登場するらしい。
沖縄米軍基地移転発言の時もそうだったからあまり驚きもしない。
この人たちは、舌の根も乾かわいても、2枚舌、3枚舌だから。
政治家こそ、己の一言ひとことにより責任を持って欲しい。
そのうち誰かが『ぶちきれる』
2010年12月5日
- 土塀と塔・・・斑鳩の里
土曜日の早朝、NHKテレビで『かんさい想い出シアター』という番組がある。
12日4日は、36年前の『新日本紀行』の映像だった。
奈良・斑鳩にある法輪寺。この寺の三重塔は、昭和19年落雷により焼失し、優美な姿が失われた。それが、再建されたのが昭和49年。再建にあたって尽力したのが、「五重塔」で知られる幸田露伴の娘で、作家の幸田文さん。塔の再建の物語を描いた番組だ。
斑鳩の里に向かって突然走りたくなった。半年ぶりの自転車での長距離への挑戦。
高槻を8時前に出発し交野、生駒経て竜田川に沿って走り斑鳩に11時前に到着。
藤ノ木古墳では歴史好きな近所のおばちゃんとしばし雑談。
整備された古墳の周囲の田んぼ道や柿の木はなくなり世紀の大発見当時の面影はまったくない。こんな姿にされた藤ノ木古墳は心に迫ってこない。残念である。
土塀に囲まれた道を観光客の間を縫う様にして通りぬけ、法隆寺、法輪寺、法起寺と斑鳩3塔を訪ねる。
のどかな斑鳩は土塀と塔が似合う里である。
このまま、帰路に着くのは時間が早すぎるので大和高田市を突っ切り奈良市に向かう。
西ノ京、薬師寺、唐招提寺に立ち寄り、富雄川にそって帰路に着く。
2010年12月2日
- 健康診断
我が職場は、毎年11月が健康診断の時期だ。
S野さんが送られてきた検査結果を病院にもっていくためにコピーをしていた。
どこが悪いの?と訪ねたら『頭』という。
『病院では頭は直らない!』と口出ししたら、最近、自宅の電話番号が思い出せない事があったとか・・・・・
よくある話だ。
テレビを見ていても出てくる人の名前が出てこない。
人にあっても名前が出てこない。
昔の出来事は鮮明なのに、最近の事は思い出せない。
昨日の夕食は何?これはOK
一昨日の夕食は? このあたりで限界に近づきつつある。
記憶領域に異常があって記憶ができていないのか?
呼び出し機能の異常で思い出せないのか?心配になる。
原因の1つに
体内にアルコールが充満し酔っ払い状態が日常化している可能性は否定できない。
アルコールをしばらく控えよう!と心に念じる。
が、数時間で念じた記憶がなくなり、アルコールに手が伸びる。
『物忘れをしない方法』という趣旨の本を以前に買ったのに、また、同じ本を買ってきて家族に心配されたという話がある。(私の事ではない)
2010年12月2日
- 今年も残すところ・・・・
『今年も後○日・・・・。』が日常会話になってきた。
システム手帳を来年用に入れ替えた。
2011年を待つ、真新しい、真っ白のページが新鮮だ。
ガラにもなく1年を振りかえってみた。
今年できた事:大工仕事(倉庫2棟)(スロープ)(その他)
できなかった事:自転車で毎月、長距離(100キロ)を走ること。禁煙。
増加したもの:お酒と体重と健康不安。(よく医者に行きました。)
減少したもの:記憶力と○○○。
初めて経験した恥ずかしい事:書けるわけがない。
あーあ・・・・来年こそは!なんて思わない事にしよう。
あまり力むと必ず後悔する。
生きてきた時間より、残された時間は確実に短い。
ぼちぼち行こう。
2010年11月10日
- 心優しき人
ホームセンターに行くとパンジーやビオラ等の花苗を大量に購入している人がいる。
夏や秋の花が終わり、プランターの花の植え替え時期だ。
我が家も同様である。
困る事がある。
細々ながら、終焉近くとも未だに咲き続けている夏の花達の行き場である。
多くの方のように、何の未練も無くゴミ袋に捨てる事ができない。
『私は、心優しき人間だから仕方ない!』と言うと、
『ただ、ケチで決断力がないだけよ!』と心冷たい言葉が襲いかかってくる。
花を育てている人を見て心優しい人という人もいるが、そんな簡単な事ではなさそうだ。
2010年11月8日
- 倉庫(物置)がついに完成しました。
バザー前にやっとは完成をさせる事ができました。
写真のように、パイプテントを台車にのせたまま収納できる倉庫です。
これで、狭い通路の奥の倉庫まで人力で運んでいた苦労が解消です。
まだ、いくつかの改善は必要ですが、ほぼ計画どおりです。
これほど長期間かかる大工仕事は始めてでした。
“つぶやき”もしばらくご無沙汰でしたが、また更新していきますのでよろしく。 - どら焼きを食べながら費用の計算中です
基礎の材料代が10000円
木材が20000円
屋根材が15000円
外壁材が20000円
合計は?・・・指が大きすぎて電卓がうごきません。
頂いた廃材を活用できたので安上がりでした。
2010年10月9日
- 完成・歓声まで後数日・・・熟年の技。
日曜大工が発展して倉庫造りに奮闘する日々が続いています。
バザー等で使用するテント置き場の(倉庫)建設中(おおげさ)です。
パイプテントの支柱をボックス台車に載せたまま収納できる特別仕様です。
基礎は、ブロックで固め、土台と柱は3寸角材。(近くで廃材をもらいました。)
梁と間柱は、2×4材を使用。屋根は網いりの波板。外壁は化粧トタン板。内壁は12mmコンパネ貼りの予定です。
平日は、16時頃からが作業時間ですので日暮が早く仕事が進みません。
倉庫の完成までは、休日の自転車乗りのガマンが続いています。
今回の倉庫造りで大工の技が少しだけですが解ってきました。
基礎・土台の水平と直角、柱の鉛直ですべてが決まるという事です。
これを、いいかげんにすると先々まで苦労がいつまでも続きます。
基本・基礎が大事。人生の縮図みたいですね。
でも、棟梁(A立さん)は少しぐらいの誤差はごまかしてしまいす。
熟年の技。これも人生ですね。
若すぎる私の年では近づけません。
2010年10月8日
- 変換力に変に感心
『がむしゃら』を『せこせこ』に変換した人がいた。
歓送迎会の会場となる店の名前を間違えた話である。
N井さんから、場所は、『せこせこ』です。と言われて、妙な屋号の店だと思った。
記憶間違いはよくある話だが、『がむしゃら』を『せこせこ』に変換したそうだ。
人は、見たり、聞いたりした事を、個々の感性で変換して心に保存する。
いくら技術が進歩しても、パソコン等ではできない人間だけがもつ能力である。
そして、保存したものを再変換しつつ自分の言葉や態度で表す。
当たり前の事だが
同じ話聞いても、同じ物をみても、想いは100人100様である。
100様こそ、その人らしさであり、変換力である。
コピーは正確だが味も素っ気もないので感動を呼ばない。
変換力は人間のある種の豊かさの指標である。
N井さんの変換力(変感力)はどこで身につけたのか聞いてみたくなった。
2010年9月23日
- 体内時計
体内時計が狂ってしまった。
夜、9時になると眠い。
10時は、なんとか眠気をまだ我慢できるが11時なんてとても起きてはいられない。
夢中で見ていたサスペンスドラマは、いつも顛末が判らない。
翌朝は、毎日、午前3時過ぎから目が覚める。
時計をみる。時間を確認してがっかりである。
まだ、今起きてはいけない。仕事に支障がでる。しかし眠れない。
この時間では、眠り薬(お酒)は絶対飲めない。
毎日、毎朝が、テレビショピングとのお付き合いである。
夜明けが待ちどうしい。
この繰り返しの日々が続いている。
こんな狂った生活リズムが続く事は始めてである。
近所にも夜明けを待って玄関先にでる同じ様な人がいる。
今年の夏の暑さは異常だった。ゆえに体内時計もおかしくなった。
決して年をとったせいではないと思う。
2010年9月11日
- 心に点滴・・・・・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)現地見学会
古代の風やにおいにふれると、ギスギスしている現実から抜け出してほっとする。
だから明日香村は好きだ。
昨日の新聞に、八角形の古墳・・・・明日香村・・・・斉明天皇・・・・・見地見学会は、9月11日・12日と載った。
大見出しを見た瞬間から心は明日香に向かっていた。
久しぶりの明日香・・炎天下の11日、見学会に参加した。
牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)は、近鉄飛鳥駅の西の山中にある。
斉明天皇の墓と以前から説はあった古墳である。
今回の八角形の石敷きの発見は、天皇の古墳の象徴であり、日本書紀の記述とも一致した。
ところが、宮内庁は、別の古墳を斉明天皇陵墓に指定しているため墓誌に被葬者の名前 でもでない限り認めないらしい。
高槻市にも同様の話がある。
今城塚古墳こそ継体天皇陵だと全ての研究者の意見は一致しているが、宮内庁は認めない。
おかげで、今城塚も発掘調査ができ日本最大の家型埴輪の発見につながった。
牽牛子塚古墳も頑固な宮内庁のおかげで発掘できた真の天皇陵なのだ。
斉明天皇は、女性の天皇。2度天皇になった。
土木工事が好きで、亀石、酒船石など謎の石造物もこの時代のものの様だ。
百済救援のため自ら九州へ軍を率いて遠征するなど勇敢な女傑だったとう。
女帝!とか、女性で、ありながらと・・・とコメントする新聞マスコミも多くあった。しかし、今も昔も『女性が弱い』ということはない。
私の周りには、凄みのある女性人ばっかりだ。誰の事なんてとても言えない。
2010年9月3日
- がまんくらべの開所式
9月3日夕方の大阪のテレビは「猛暑が再来した」と報道した。
猛暑の定義からすると「再来」らしいが、「再来」の実感はない。
猛暑続きである。
この日、貝塚市で障害者施設の竣工・開所式が11時から屋外で開催された。
こんなに“暑い”開所式は記憶にない。
数日前、式典での挨拶を依頼されたとき、「短くお願いします」と注文があった。
納得である。長時間の挨拶が続いたら大変だ。
2部の最後にN常務理事さんが「1部の式典はがまんくらべのようでした。」と述べられた。
2部も別の意味でがまんくらべだった。
この施設には、館内はもちろん、館外、屋外にも灰皿がない。
屋根には、太陽光発電。周辺は禁煙。これが福祉施設の新基準となりつつあるようだ。
たばこが大幅に値上る10月1日は間近である。
新基準についていけるか?決断の時期が刻々と迫ってきている。
医者から、「禁煙します。」の誓約書まで書かされても、すい続けている人がいた。
奈良県のO久保さんだ。
理由を聞くと、誓約書には『いつから』の記載欄がなかったからだそうだ。
兵庫県のH馬場さんは、絶対やめないと宣言している。
大阪のN西さんは、たばこを吸っている時の顔がいちばん輝いている。
数すくなくなった、吸い友達のみなさん。
どなたか、一緒に新基準に挑戦してもらえませんか?
2010年8月22日
- 激暑に激痛・・・・・イタタ
今年の暑さは異常である。年をとったせいだけではなさそうだ。
梅雨明けと同時に猛暑が連日続いている。夕立もない。とにかく暑い。
我が家の玄関先の花たちも例年なら満開なのに今年は暑さに完敗だ。
いつもなら、汗をかく快感に心躍らせて真夏でも自転車で100キロ目指して走っていた。
今年は暑さに負けた。もうすぐ9月だというのに飛び出す勇気がない。
2日前の事だ。倉庫の片付けをしていたら、アレー・・・・腰がイタタ・・・・。
一晩たった翌朝は激痛である。
自転車に乗るようになってからは腰痛とは無縁だったのに!イタタタタ・・・・
自転車でしばらく遠出してないツケが腰にきた。
顔も洗えない。歩けない。笑えない。パソコンも・・・・・できない。
昔は、整骨院に飛び込んでいたが、痛いときには揉んだりしないほうがいい。
飲んで、寝るしかない。痛みをこらえて飲み物だけは買いにいった。
でも、飲んでも酔わない。眠くならない。イタタ・・・・・・。
2010年8月12日
- 朱と猫
彼は4ヶ月前まで、いつもスーツ姿で身なりを整え、おとなしそうに働いていた。
冗談も言うこともほとんどなくなく、電話とパソコンに向かい合っていた。
ただひたすら働いていた。
本年4月から、わかくさ福祉会の職員になった。
そんな細身で体力がもつか?と心配されながら送りだされた。
4ヶ月過ぎると、こんな姿になった。 忙しすぎるとか給与が遅配されたわけではない
朱に交われば・・・・・いう言葉がある。が・・・・・
でも朱に交わったせいではなさそうだ。
短期間で、ここまで変身、変心した職員はそばにはいない。
本性を隠しておとなしそうに振る舞うことを「猫をかぶる」という。
本性をだしてきたのかもしれない。
そういえば、
彼が以前働いていた職場のMさんは、会うたびに、ヒゲがあったり、なかったりする。
また、Tさんのヒゲは、会うたびに形がちがう。本性だせずムズムズだ。
彼は、以前の職場で、朱に交わったのかもしれない。
2010年8月1日
- 赤い顔のわけ
N村さんから、酒でっか? 自転車でっか?と聞かれた。
赤い顔をすると原因はこの2つと思われているようだ。
今回だけは、酒とも違います。自転車でもありません。
真夏の日曜大工である。
休日の早朝は近所迷惑になるので太陽が昇ってからの作業だ。
今回の日曜大工はスロープづくり。
「あちゅ、あつ、暑」と、ひとりごとが思わず出てくる。
地面から60センチ上がっている部屋から車イスで外出できるようにする。
スロープの長さはスペースがないので勾配がきつくなったが仕方ない。
図面は頭の中に書いた。やりながら現場合わせだ。
出来上がりを試してみたら、やっぱり勾配がきつい。
商売なら合格点には届かない。が、
自走する事はないので介助者用の滑り止めを中央部に打ちつけた。
お礼は期待どおりビールを頂いた。
ひと仕事やり終えた、この日の夜の一杯は格別だ。
やっぱり赤くなった。
2010年7月30日
- 漢字で喋る人
漢字検定 - 父子と親族企業、6億円申告漏れ…の報道がされた。
元理事長と元副理事長の、父子が代表を務めていた企業4社が、個人と法人の申告漏れを指摘されたそうだ。
漢検は12段階あり上級(1級)に近づくほど使用頻度の低い、並みの辞書では載っていない漢字まで出題されるそうだ。
2~3日前のことだ。
交野市にある障害者施設で働いているAさんがつぶやいた。
「いつも漢字で喋ってくる人の話は疲れてたまらんわー!」
そばにいた5~6人が、一人残らず大きくうなずいた。
共感と賛意を表したうなずきだ。
Aさんは、ひらがな派である。
漢字で喋る人はたいがいが喋るのが好きだし、上級レベルで喋ろうとする。
次々と日常では使わない言語を口から発射する。
口撃を受ける人はたまらない。
日常会話は、ひらかなで!と思うのはAさんだけではなかった。
2010年7月23日
- 胸と頭と口と手
暑中お見舞い申し上げます。
先日、文章がかけない!と助けを求められた。
暑さのせいではない。どうも、胸(ハート)だけで書こうとしてペンが進まなくなったようだ。
口で書いたらどうですか?といったら、口先で書くなんて、私には無理ですと仕事を振られてしまった。
胸で書く人。頭で書く人。口で書く人。人様々だ。
Yさん、Iさん。・・・・頭だけで書いた文章は理屈が多すぎて最後まで読むのがつらいです。
Mさん・・・・胸だけで書いた文章は、話の顛末がクイズみたいです。
?さん・・・・口先だけの文章なんてとても信じられません。
文章を書くには、使い分けとバランスがいるのだ。
恋文は胸で書かかないと、奥深い想いは届かない。(一度たりとも書いたことも、もらったこともないから想像ですが)
行政文章は頭で書かないと必要なことが脱落する。
演説のような文書は口で書く。時に相手に合わせて脚色する。
伝わる表現とは、中身に応じて使い分け、そしてバランスよく収めることだと思う。
でも、最近はこんな人が増えてきた。
Aさんは、胸も使わず、頭も使わず、口も使わず、手だけを使っている。
ただただ、がむしゃらに、キーボードをたたいている。
はじめから、終わりまで、なんの事やらわからない。書くことにのみに意味がある。
今日の「つぶやき」は、手で書いた!
2010年7月21日
- 本音隠さず
本音を隠さないことはいい事だ。が
今までは、本音を隠し「ごめんなさい!」と形だけあやまった。
後に本音が相手に伝わったら大きな怒りをかう。
半年前、障害者自立支援法違憲訴訟において原告に、長妻厚労相は「(自立支援法は)皆さまの尊厳を深く傷つけ、心から反省の意を表明します。とのべた。
原告団、弁護団と長妻昭厚生労働相の3者が調印した「基本合意」は、自立支援法実施で障害者に悪影響をもたらしたことについて、政府が「心からの反省」を表明し尊厳を傷つけた自立支援法は廃止して、13年8月までの新制度制定に障害者が参画するなどの内容だった。
この基本合意に基づいて裁判は終結した。今、新制度にむけて議論が進んでいる。
ここからが本題である。7月16日に厚生労働省は下記のプレス発表をした。
全文はこちらです。http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000000dr86.html先の選挙の結果の影響があるのか?ないのか?これが本音なのか?障害者自立支援法による障害福祉サービス移行状況調査
~新体系への移行が5割超える、4月1日現在~
障害者が地域で安心して暮らせる社会を目指す「障害者自立支援法の施行(平成18年4月)で、利用者にわかりやすく、使いやすい新たな障害福祉サービス(新体系サービス)が始まりました。授産施設など旧来の障害福祉施設(旧体系サービス)は24年3月までに新体系サービスに移行することになっています。
このたび、22年4月1日現在の移行状況と今後の予定を取りまとめましたので公表します。
まず、「5割を超える」の表現に驚いた。
移行期間は、後1年半しかない時なのに、未だに5割を超えた程度しか移行できていないと誰もが見ている。
それも、「早く移行すれば金をつけます。」など飴を全国にばらまきムチを振り振りした結果でやっと5割なのだ。
さらに、自立支援法は、わかりやすく、使いやすい・・という評価は、目を疑った。
おもわず、過去の記事かと日付を確認した。
自立支援法実施で障害者に悪影響をもたらしたことについて、政府が「心からの反省」したはずだが、反省は、どうも本音とは違うようだ?
これが本音なら、あらたな法律、制度づくりは決して楽観できない。
いつの間にか、名前だけ替える・・・・・で決着なんてことに!
近々、全国で、またもや怒りが野火のごとく広がるかもしれない。
2010年7月12日
- 曇り空の下で・・・・・・やっと咲いた一輪
近年、あちこちでみる花(エンゼルトランペット)である。
昨年、切り枝をいただき挿し木をした。
幹はすくすくと成長したが花をつけないままで冬越しとなった。
今年も近所では、ひと月前ぐらいから大輪の花を咲かせていた。
我が家は、選挙の投票日の(7月11日)遅咲きだ。
曇天の大空の下、誇らしげに咲いた。さいた。
真夏日かと思えば翌日は豪雨。
政治空(そら)みたいな日々である。
国民は、今回も政権与党にNOを突きつけた。
「自民党の勝利は、敵失である」「民主党の敗因は、消費税だけではない。」
政治が晴れ空になるには、いましばらく時間がかかる。
2010年6月26日
- パワポ
神戸市で全国セルプの研究大会が三日間開催された。
パワポ攻撃の連続である。
最近の、研修会では講師の誰もがパワーポイント(スライド)を活用する。
会場の照明は落とされ、メモもとれない。
1時間以上この状態が続くのである。
一本調子のお話は、いつの間にか子守唄化してくる。
あちこちで頭が少しづつ傾いてくる。
それでも、講演が終われば大きな拍手、拍手である。
聴講者に寝るな!気合をいれろ!とはとてもいえない。
パワポに問題があるのだ。
写真や動画、グラフなら効果があるが、印刷物と同じパワポはいらない。
講師の皆さん
お願いです。必要以上にパワポを使わないで下さい。
講師の方の表情こそ思いが伝わる。記憶に残る。
パワポでは脳みそに焼付けができない。
見て聞いて考えて、個々が感情を注入して初めて焼付けが完了する。
パワポは感情注入の行為を奪い取っている。
2010年6月7日
- 乱入、迷惑男の初めての体験
尼崎市でチャリティー絵画展「原田泰治ふるさとの心展」が開催された。
社会福祉法人あぜくら福祉会がケアホーム建設事業の一つとして企画し、協力は(株)アートロンガ。
絵画展は多くの人で盛況であった。原田泰治画伯の絵画は心を和ませてくれる。
この催しにアートロンガの特別スタッフの名札をつけて、応援と称して迷惑男(・・・・?)が乱入した。
強引な売込みをしない事で信頼を得ている絵画展なのに、ひとつおぼえで自分の好みの絵を薦めるのだ。
この手の人間は、おだてがすぎると何をやらかすかわからない。
当人も自分の性格が怖い!と思う事が度々ある。
アートロンガの松本社長もヒヤヒヤである。
決まり言葉の明日も来てねと誘いがあったが・・・・・・
翌日駆けつけることができない事態がその日の深夜に起きていた。
それは、迷惑男にとっては初めての体験であった。これは内緒である。
2010年5月29日
- 「言葉」だけでは
- 「言葉」だけでも ・・・・・・
わかくさの職員、旧姓F谷さんに「ごくろうさん」と労をねぎらったつもりで言葉をかけたら「そんな言葉はいいから給料あげてください。」と言われた。
突然の要求に次の言葉が出なかった。 - 「言葉」だけなら ・・・・・・
沖縄米軍基地問題で「最低でも県外」という言葉をみんなが信じた。
言葉に責任が持てない政治家が日本の総理とはさみしい。
言葉だけなら政治詐欺だ。 - 「言葉」だけでは ・・・・・・
ホームページの作成依頼がきた。
「ほんまもんの福祉を求めて 公三くんです」だ。
依頼の主はN村さん(中村公三さん)だ。
今回もホームページ作成ソフトQHMで作成した。
トップページに「ホームページ作成にあたり友人(N山さん)に多大な協力を得ました。お礼申し上げます。」の一言が掲載されていた。
「言葉」だけ・・・・・そんなはずはない。
いやいや「言葉」だけのような気がしてきた。
結果はこのページで後日に報告だ。
- 「言葉」だけでも ・・・・・・
2010年5月22日
- やまと名物 魂胆(こんたん)焼き 「かきもち」
朝から快晴、奈良だ。奈良に行こう。初夏の日ざしが心を誘う。
目的は平城京跡と、今度こそ「阿修羅」様との対面である。
午前8時30分の遅い漕ぎ出しではあったが11時には平城京跡に到着。
遷都1300年祭のメイン会場の平城京跡はべらぼうに広い。
広すぎて健脚人でも歩き疲れる。歩いた先にも何もないことも多い。
1300年祭に行く予定のある人はガイドブックなどで事前計画が必要である。
お目当ての奈良県の障害者施設の店「ナイスハートバザール」をやっと探しあてた。
数ある手作り品はなかなかの力作ぞろいである。
たまたま手に取った一品が「レンジ焼き かきもち」だった。
なにかにつけて、世間離れした知恵をさずけてくださるO○保さんの施設の商品だった。
「レンジ焼き」のネーミングはO○保さんらしくない。ひねりがない。
私ならこうする。
商品名:やまと名物「魂胆(こんたん)焼き かきもち」
商品説明:このかきもちは、食べると普通では思いつかない知恵が湧いてきます。ただし、効果には個人差があります。また食べすぎは危険をともないます。
次なる目的地の興福寺国宝館は多くの人で賑わっていた。
今日の仏像ブームは「阿修羅」様から始まった。
やっと、「阿修羅」様に会えた。向かって右の顔は悲しそうに、左の顔は純朴で幼げに見えた。一つを選ぶなら私は左を選ぶ。
2010年5月18日
- おばさんのよなべしごと
「母さんが夜なべをして手ぶくろ編んでくれた。」という童謡がある。
昔、農繁期にはカーバイト・ランプで手元を照らして夜なべで農作業をしていた。
現代風でいえば残業である。
近所のNさんは、毎晩9時過ぎになると玄関先で夜なべ仕事を始める。
懐中電灯と割り箸が仕事道具である。
覗いてみたら「・・・・・・・」まるでイカの・・・・みたい。
写真も撮らせて頂いた。が、とてもグロテスクで掲載する勇気がない。
Nさんの仕事場の写真をかわりに掲載することにした。
夜なべ仕事のおかげでNさん宅のお花はいつも満開である。
手間隙を惜しんでは花は咲かない。
2010年5月10日
- 忘れられない五月(ごがつ)の味。
桜の花がちり五月になるとこの季節の到来である。
私の田舎ではシャッポと呼んでいたのだが植物図鑑などでは「イタドリ」だ。
スッポン、イタズイコ、シャッポ、シャジナッポ、タケスカンポ、スカンポ、カワタケ、チョンポ、ゴッポ、タリンコ、イタンコ、ドデンカラ、ダシッポ、サード、シャジッポ、カッポン、イタドリ、イタズリ、イタヅラ、イタンポ、タケズイコ・・・300以上の呼び名があるそうで同じ県でもひと山越えると名前がで違うそうだ。
高知県では酢の物・和え物・炒めもの、煮物・酢漬け・散らし寿司の具などにもするそうで店頭でも売っているそうだ。(高知人は何かにつけてどこか違う。)
毎年、この時期になると懐かしいこの味を求めて、休日は草むらをさまよう自分がいる。
太くて、葉っぱが小さいのがいい。根元からポコンと折れるのがいい。皮がむきやすいのがいい。
根元から皮をむいて塩をつけて食べる。さわやかな酸味とコリコリとした歯ごたえがたまらない。
ああー 口の中に、ふるさとの味が広がる。
こどもの頃走り回った野山が総天然色で見えてきた。
2010年5月7日
- 私がわがままですか?
淀川をのぼり、八幡市、淀、そして・・・・伏見。高槻から約2時間程度。
同じ目的地に行くのでも、いつもの道を避けて寄り道しながら、新しい発見を求めて走るのが好きだ。
数日前の話だ。職場の同僚Mさん(3人目の犠牲者)を誘いだした。
迷いつつ、道を聞きつつ、竜馬ゆかりの伏見・寺田屋に到着。
寺田屋は、入浴中のお龍が裸のまま階段を駆け上がって竜馬に異変を告げ、辛うじて難逃れたと伝えられる宿。
2階の柱には当時の刀傷、1階にはお龍さん使用の風呂という説明書きがある。
数年前「寺田屋は再建されたものだ。」!?という平成の寺田屋騒動があった。
調査の結果は再建説に軍配があがった。が、寺田屋の所有者は納得していないらしい。
伏見といえば日本酒も名高い。月桂冠大倉記念館を見学した。
受付で入館料300円支払うと、お土産(カップ酒)までついてくる。
私の自転車用ヘルメットを見て
「自転車ですか?これを目立つところに貼ってください」とシールを渡された。
なんと、飲酒禁止シールだった。
館内では見学後、珍しいお酒の、試飲もできる。
ただし、車、バイク、自転車運転の方はお断りである。
杯(さかずき)の半分程度の試飲なのだが、自転車でも飲ませてはもらえない。
厳しすぎると思いませんか?それとも私がわがままですか?
すべてのことを一つの標準や規則に当てはめてしまうことを杓子定規という。
どうも、最近の決め事・ルールは何かにつけて杓子定規だ。
I 市の障害程度区分判定は典型的な杓子定規だ。実態が反映されない。
さじ加減とか現場合わせ等という言葉は死語になってしまった。
酒飲みの屁理屈だが福祉の制度は現場合わせでこそ役に立つ。
予期せぬ事態に出会っても現場合わせで判断できる仕組みや能力が必要だ。
これがお土産です。 うめー。
もちろん自宅でいただきました。飲酒運転では帰れません。
2010年4月25日
- 反省したら対策を
つぶやきのページは、管理者の気まぐれな内容ばかりである。
突然Aさん、Bさんが登場するので、よくお叱りを受ける。
ホームページにアップしたら、アップしました!と伝言はしているが不十分らしい。
大阪のФ西さんと書いたら中西さんからクレームを頂いた。
奈良のO久保さんと書いたら大久保さんから大久保としか読めないと言われた。
兵庫のM田さんからは、F預金の表現はまずいと言われた。
先日、お前の傍では雑談も気軽に出来ないと言われた。
会った翌日は危険日とまで言われてしまった。
少しだけ反省をした。
少しだけの反省である。
ご意見をいただくページを作成した。
ご意見はここにお願いします。
このページへのご意見はここからお願いします。
2010年4月24日
- 荘川桜 2 古きものは古きがゆえに尊いのである
去る4月20日(火)22時25分~「歴史は眠らない」サクラよ、よみがえれ(NHK教育テレビ)で『庄川桜』取り上げられた。
サクラ博士の異名をとった笹部新太郎についても詳しくふれられていた。
さすがNHKである。再放送が予定されていた。
NHK教育「歴史は眠らない」(再放送:4月27日(火)あさ5時35分~)
早朝であるが、このページを覗いていただいている方のほとんどが、朝早く目が覚めてしまう年齢の人ばかりだと思うので興味がある方は是非見てください。
私は、この日だけ早起きに挑戦することにします。
わかくさの家族のM浦さん、先ごろ仏顔になったM部さんは念仏の稽古でもしながら必ず見てくださいよ。古きものは古きがゆえに尊いのである。のだから
以下番組のホームページより転載
第4回 サクラよ、よみがえれ
再放送 4月27日 AM5時35分~AM6時00分(教育テレビ)
戦時中、空襲で焼けたり、燃料用の薪にされるなど荒廃の憂き目にあったサクラ。戦後も経済復興に邁進するなかで、道路拡張や宅地造成などで伐採されるサクラが後を絶たなかった。人々のサクラへの思いは薄らいでいくばかりだった。そんなさなかの昭和35年、電力不足解消のために国策として始まった岐阜県・御母衣ダムの建設。工事が進むさなか、水没地域にある樹齢400年のサクラの巨木を救おうと立ち上がった人物がいた。当時、サクラ博士の異名をとった笹部新太郎だ。不可能と言われた移植は見事に成功し、サクラは2年後、満開の花をつけるまでに再生した。この出来事を契機に、各地でもサクラを植えようという動きが起こり、日本は再びサクラの国への道を歩んでいく。戦後、経済や効率ばかりが優先される中でサクラを守ろうとした人々の姿を見つめ、日本人の心のふるさとであるサクラの風景をどう残していけばよいのかを探る。
5月の連休あたりが満開だそうですよ。http://mwsgvs.weathernews.jp/sakura/calendar/5214.png?1272088800000
2010年4月22日
- 空念仏と仏顔
鳩山総理の顔つきが変ったと誰もが思っている。
『私は愚かな総理かもしれない』という総理の顔には悲壮感すら漂っている。
総理に就任した直後、野党自民党の追及に対して『あなた方には言われたくない』と言っていた時の総理は自信にあふれていた。
政権交代から8ヶ月。期待は次々に裏切られて失望の連続である。
あれもやります。これもやります。といっても誰も今は信じない。
いつも最後は、親父の一郎がちゃぶ台をひっくり返して事が決まる。
もう総理の言葉は空念仏になっている。
一方、最大野党の自民党は解党寸前の様相である。
いまや自民党には求心力が全くない。選挙を前に遠心力だけが強くなっている。
自民党の話題と言えば離党と新党騒ぎである。
これまでの支持団体は我先にと逃げ出し競争である。
権力という蜜に寄ってきていた求心力は権力を失うと、だれも寄り付かない。
あれこれ言っても、こちらも空念仏である。まったく、ご利益(ごりやく)が無い。
空念仏ばかり唱えていると人相までもが空しい形相になっていく。
話は変るが、大阪のM部さんは還暦をむかえ、この3月に定年になった。
定年後も引きつづき嘱託職員としてKコロニーで働いておられるそうだ。
ひと月ぶりに再会したら、この人も人相が変っていた。
皆を和ませる、仏顔になっている。
一区切りついた人生の充実感と安堵感が漂っていた。
施設長という役職からの開放からか?
現場に復帰して障がい者の人と向き合える毎日の充実からか?
聞くところによると、生家はお寺さんだそうだ。
お経が読めないので、福祉を選んだが口癖。
仏顔のM部さんの念仏が聞ける再開の時を楽しみにしよう。
2010年4月11日
- 出戻りの館
わかくさ福祉会は出戻り職員が多いことに気がついた。
A立さんは、元気なうちに夫婦仲良く旅行したいと65歳の定年前に退職したが、今はわかくさのパートの職員である。きっと奥さんがいつまでも付きあってはくれなくなったのだろう。
同年代のS藤さんも定年を前に退職したが、しばらくの間をおいてパート職員で復活した。
若いK西さんは人生のハンドルを別世界に一度きってみたのだが、1年半後に復帰した。
70歳をこえたA利さんは退職後もボランティアとして毎日出勤である。
職員ではないが、ほぼ毎日出勤のボランティアのK芝さんも出戻りだ。
いつの間にか、わかくさは『出戻りの館』になっていた。
今年3月末で2名の職員が退職したが周囲は当然のように出戻りを期待している。
W田さんは、家庭の事情で50歳台前半での退職となった。
退職しても、わかくさとの関係は持ち続けていたいと彼女は語ってくれた。
パート職員のK村さんは70歳を迎え退職となったが、体も気持ちも元気である。(文章に出来ないほど元気)
2人が出戻りグループに仲間入りするのも時間の問題だと皆が思う。
『出戻りの館=わかくさ』には、離れられない魅力があるようだ。
わかくさの利用者だった岩井清さん(故人)は、「福祉社会」の反対語は「弱肉強食社会」であると述べている。
わかくさから一歩外へでると弱肉強食の競争と成果主義の社会である。
劇的な政権交代があったが残念だが、この流れには大きな変化はない。
わかくさは世間から奪われた『人間らしさを再発見できる』空間である。
この空間のど真ん中に、障がいをもった仲間たちからの『かかわり・はたらきかけ』がある。
これが、みんなの心を放さない。
2010年3月30日
- 450年を生きる。 2本の老桜物語・・・・・・庄川桜
岐阜県高山市荘川町。一度は訪ねてみたい桜がこの町にある。
先日、高槻市名誉市民 高碕達之助をかたる会が開催された。
開場時間前から入場待ちの行列ができる盛況であった。
髙碕達之助は明治18年、大阪府高槻市柱本生まれ。
生家は、現在、地域の公民館と使用されているが、老朽化がすすみ立替計画があり、いずれ取り壊される運命にあるそうだ。パネリスト達から保存運動を!という訴えがあった。
当日いただいた資料の中にに荘川桜のパンフレットあった。
ダム底に沈む運命だった桜を救った話。テレビ、プロジェクトXでみた記憶がかすかにあった。
戦後日本は水力発電を推進するため電源開発株式会社を設立。
初代総裁が高碕達之助だった。最初のダム計画が岐阜県御母衣ダムだった。
先祖伝来の土地が奪われる地域住民の反対運動は壮絶であったそうだ。
高碕は自らでかけ誠意をもって説得した。6年間の交渉の末に反対住民と合意する。
反対同盟の解散式に招かれた高碕は水没する集落を散策しお寺の境内にある老桜を発見し、せめてこの桜を救いたいと奔走する。
「進歩の名のもとに、
古き姿は次第に失われていく。だが、
人の力で救えるものは、
なんとか残してゆきたい。
古きものは古きがゆえに尊いのである。」
これは、高碕達之助の言葉である・。
当時の桜研究家の「桜男」とも称された笹部新太郎氏にこの桜の移植を依頼した。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言われるほど外傷に脆弱な木である。
笹部は、「高崎さんに移植について相談された際、絶対に不可能かと言われ『生き物である限り絶対と私は言いたくない』と言った直後に『お願いします』と言われ『しまった』と述べている。
現地でもう1本の巨桜を発見し、万が一1本がかれてももう1本が助かればとの思いから2本を移植することになる。
移植工事は昭和35年11月に着手し40日間。世界植樹史上例のない移植工事であった。
樹齢450年以上という老齢とその巨体、重量合わせて73トン。可能な限り枝や根を落として、移動距離 600メートル、高低差50メートルの坂道を引上げ現在の場所に移植された。
移植された桜は2本とも奇跡的に蘇生し、ふるさとを失った村民たちが桜を囲んで涙を流す。
「荘川桜」と命名され、現在もダムを望みながら悠々と立ち、傍らには「ふるさとは 水底となりつ 移し来し この老桜 咲けとこしへに」と、髙碕が詠んだ句が刻まれた石碑が立てられている。
高碕達之助を知ってよかった。そんな1日であった。
参考:荘川桜を救った二人の紳士・・・・・荘川桜物語
http://www.jpower.co.jp/sakura/tokoshie/index.html
2010年3月17日
- 東京から弟子を標榜する男が土産を待たず手ぶらでやってきた。
ある落語家から弟子入りを許されたときの話を聞いたことがある。
弟子を志願して師匠を幾度、訪問しても会ってもくれない。
ある日、手土産を持参し尋ねたら、話も聞かずにその場で弟子入りが許された。
これが師弟関係だ。
昨日、私を訪ねてきた弟子を名乗る男は、このページに以前にも登場したアートロンガの松本さんだ。
師弟関係とは、ホームページづくりのことだ。
アートロンガのホームページは http://artlonga.ciao.jp/
まだ3月足らずなのに立派でしょう。自作、手作りホームページですよ。
ほぼ毎日更新されている。
このHPは、わかくさと同じ作成ソフトQHMを使用している。
そもそも、このソフトを紹介したのは、師匠と呼ばれる私である。
ところどころ、気に入らないところを見つける度に、私見をメールで伝えていたら、師匠と呼ばせて下さいとメールがきた。
悪い気はしないが、弟子のホームページの出来栄えが良すぎる。
弟子が師匠を追い越してもいいが、あまりにも早すぎる。
それでも師弟関係を望むのなら、この程度の手土産が必要だ。
師弟関係の締結はそれから考えよう。
弟子になるかもしれない、アートロンガ様の紹介を少しだけすると
先月開催した、わかくさ法人設立25周年企画絵画展の協力していただいた会社だ。
寝屋川市のワークセンター小路の久沢施設長さんの紹介が発端だった。
わかくさは、10数年前に同様の絵画展を、ある会社の呼びかけで開催したことがあったが、目にあまる来客者への強引な絵画の売りつけがあって苦情が殺到した。
以後、絵画展は、わかくさの中では禁句だった。
今回は久々の絵画展だったが、強引な押し売りは一切なかった。
1200人の来てくださった皆様に『すてきな時間をありがとうございました。』と喜んでいただけた。
2010年3月6日
- 闘鶏山古墳本格調査へ 未盗掘石室、科学が迫る 遺骨DNA鑑定も
報道によると、高槻市が闘鶏山(つげやま)古墳の本格的調査に乗り出すことを決め、早ければ、平成23年度着手とある。
闘鶏山古墳は、4世紀前半の前方後円墳。わかくさ障害者作業所から歩いていける場所だ。
丘陵の先端部にあり、昔は古墳の存在すら知られていなかった。
飛行機で空から大地を見ることができるようになって、全国各地で多くの古墳の存在が確認できるようになったそうだ。闘鶏山古墳もそうかもしれない。
2002年(平成14年)、付近の宅地開発にともない簡単な調査が行われた。
調査を行った場所がよかったのだろう。簡単な調査であったが竪穴式石室が発見された。
石室を塞ぐ石の隙間からファイバースコープいれると、あおむけに埋葬された被葬者の頭蓋(ずがい)骨、邪馬台国の女王・卑弥呼の鏡と言われている三角縁(さんかくぶち)神獣鏡(しんじゅうきょう)など一級の埋葬品が見つかり、一躍注目を集めた。
未盗掘の古墳の例は、石棺内から金銅製の冠などが見つかった藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)が知られるが、石室そのものが未盗掘の古墳はあまり例がない。
“偶然の大発見”だったのだ。
私の記憶が間違いなければ、大発見後に、闘鶏野神社のそばに位置することから、『闘鶏山古墳』と命名され、超一級品の埋蔵品も確認された貴重な未盗掘古墳であり国史跡になった。
奈良は高松塚古墳、キトラ古墳、藤ノ木古墳など、古墳からの大発見は多い。
高槻市も負けてはいない。
藤原の鎌足の墓といわれている『阿武山古墳』
真の継体天皇陵といわれている日本一大きな家型埴輪が発見された『今城塚古墳』
卑弥呼の鏡といわれている青龍三年三角縁神獣鏡が発見された『安満宮山古墳』
そして、この度の『闘鶏山古墳』である。世紀の大発見は、もうすぐだ。
必ず、現地説明会には行こうと思っている。(写真は石室内部 手前から三角縁神獣鏡2面、腕飾り、方格規矩鏡が並び、その奥に頭骨がのこっている) (高槻市ホームページより)http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/kohun_tugeyama.html
2010年2月28日
- 梅の名所・・・北野天満宮(河内のお姉さんのお奨めどころ)
花見の歴史は桜ではなく梅から始まった。梅の花の下で和歌を詠んだ。
梅を見るなら京都北野天満宮が綺麗だと河内のお姉さんから伝言があった。
お姉さんの伝言にはいつでも忠実な私だ。久しぶりにペタルを踏んで京都までいった。
約2時間で目的地の北野天満宮に到着。
北野天満宮は学問の神様。全国の天神さんの総本家だ。
境内、梅苑にある梅は50種類、2000本以上。古くより梅の名所として名高い。
紅梅、白梅、の花が一重、八重と咲き誇り、多くの人で賑わっていた。
これぞと思う梅の花をバックにして写真を撮っている。
梅干のような顔のモデルさんが次々に入れ替わる。私のカメラの窓から離れない。
カメラを構えたがシャッターを押す指が反応しなかった。
梅の花が好きな人の平均年齢が高いのはなぜだろう?
追伸
誤解の無い様に! 河内のお姉さんの事ではありません。
梅苑の公開は3月下旬までだ。私からもお奨めします。
2010年2月27日
- 自慢ばなし・・・・・修理完了。新品は今回もお預けです。
我が家の10年近く使っている洗濯機のご機嫌が悪い。
全自動洗濯機だ。半年ほど前から、わずかだが水漏れして床が濡れている。
最近は、すすぎ工程になるとエラー表示になってブザーがピーピー。
そろそろ買い替えの時期とも思うのだが、ドライバーをもって原因の追跡。
排水に時間がかかりすぎることが原因だという事はわかった。
どこかの排水穴が詰まっているはずだと狙いを定めた。
洗濯機を少しずつ分解していく。全自動は仕組みが少し複雑だ。
排水ホース、洗濯機内部など高圧で洗い流したが直らない。ピーピー。
修理は、今日が3回目の挑戦だ。
横倒しして、排水弁のワイヤーを引っ張り、排水パイプの奥を覗くと『うぇーー』。
弁の先端に糸くずの固まり。(ここまでは前回と同じ)
ライトを照らしてよくみると、その奥には、なにやらビニールらしきものが。
これは取り出すのが大変。ピンセットや針金、ペンチなどを駆使しで取り出した。
『やったー!』大成功である。 これはなんだ?
洋服などについているあれだ。わずかな隙間から入ったらしい。
修理完了。完全に直りました。快調です。
家族にはごめんなさい。今回も新品はお預けです。
2010年2月18日
- うめの花(高津の宮)・・・河内の『お姉さん』のお言葉
『高津の富』など落語の話に度々登場する高津神社が大阪市内にある。
今年もの梅が咲き始めた。
八尾市にある障害者施設の常務理事さん(河内の『お姉さん』)と梅林を散策した。
撮影に夢中の私に、『アップ写真よりも梅ノ木全体が好き』という『お姉さん』)のお言葉。
小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことのたとえで『木(き)を見て森を見ず』という言葉がある。
『お姉さん』一言には、私たちの周りで起きている事も、「目先だけを見ていたらアカン」という思いが込められていた。
河内の『お姉さん』の一言には重みがある。
2010年2月11日
- 睡眠導入材(睡眠導入剤)
物騒な事件の話ではない。
誰でも不安や緊張で寝付けれないのはつらい。
お酒が飲める人は大体が酒の力をかりることになるが
飲みすぎて虎に変身でもした翌日は仕事にならない。
体中に覚えの無い傷や痛みが残った時などは、それだけで2~3日は落ち込んでしまう。
酒に頼らず、薬に頼らず寝付ける方法はないものか?
睡眠導入剤ではなく、抜群の睡眠導入材を見つけた。
障がい者制度改革推進会議である。月2回開催され動画で配信されている。
今後の日本の障害者制度の方向性が決まる会議であり全国の関係者が注目している。
国会中継などとは比較にならない緊張感が漂っている。
なかなか面白い。ライブ感がいい。と聞き入る。のだが
あーあ。これは睡眠導入材だ。
議事録だけは読んでおこうと思う。
2010年1月30日
- 鳩山政権の匂いと味
鳩山さんがカレーをつくる。
金庫の影から母さんが、札束もって大声援。
客寄せに、みんなが言うので砂糖に味噌や醤油もいれた。
カレーのおいしそうな匂いに誘われた。
一口食べたが、ジャガイモも人参も生煮えだった。
ルーは溶けていないし肉は入れ忘れた。煮えたぎっている。
腹ペコでも、こんなカレーはとてもじゃないが食べられない。
集った人が去っていく。
こちらにおいでと谷垣さんもカレーをつくる。
しかし、誰もよりつかない。
前に食べたらお腹がいたくなったことを覚えていた。
充分煮込んで、熟成した、まともなカレーを国民は待っている。
2010年1月29日
- あなたならどうする?『ヤスオク』
10万円のパソコンを数千円で手にいれることもできるとしたら?
インターネットオークションはすっかり市民生活に定着した。
集めてきた放置自転車までオークションで売り飛ばす自治体があるから驚きだ。(わかくさの地元の高槻市のこと)
パチンコ好きの同僚のMさんが、ヤフーオークションでなく『ヤスオク』なる存在を教えてくれた。
数十万円する家電が数千円で落札されることもあるオークションである。
嘘のような話だが本当にあったのだ。
なぜ、そんな事ができるのか?それには、それなりの仕組みがあるそうだ。
その仕組とは、入札するには1回につき1枚75円のコインがいる。
つまり、たくさん入札してくれれば1回につき75円が出品者(売り手)に入る仕組みである。
すこし詳しく説明すると
<ヤスオクのシステムは>
出品者はすべて『ヤスオク』運営(一般ユーザーは出品できない)。
1回の入札に1枚75円のコインが必要で75円は出品者(売り手)の手元にはいる。
1回の入札では1円や数十円しか値が上がらない仕組みにしている。
たとえば、10万円のパソコンが出品された仮定すると
1円スタートしたとして、2000回入札されても2000円だ。
安い価格につられて、オークション時間終了間際になると入札が殺到する。
ここからが要注意だ。
終了間際に入札があるたびにオークション終了時間が20秒延長される仕組みになっておりなかなかオークションが終わらないようにされている。
入札が2000回繰り返されても商品は2000円だが
出品者(売り手)は1回の入札につき75円が儲かるわけで、2000回×75円=15万円が手に入る事になる。
仕入れ代金を引いたとしても相当の利益となる。
一方、落札した人は2000円で10万円のパソコンを手に入れてウハウハである。
しかし、サクラが入札を繰り返してユーザーが飛びついてくるまでオークションを終了させなかったりもできるという話もあるそうだ。
うまい話には裏があるというが、いまやどちがら裏やら表やらわかりにくい。
『ヤスオク』は庶民から、薄く、広く、ギャンブル的に、お金を集めるシステムだ。
『ヤスオク』の正体は1回75円で0.00秒のタッチを競うゲームだ。はまり過ぎると危険だ。
だれが思いついたかは知らないが、儲かりすぎてウハウハだろう。
汗と油にまみれて生きることの充実感を知っている人達には、このような庶民の心理をたくみについて荒稼ぎする手法は受け入れられないと思うのだが。
あなたならどうする?。
Mさんへ。あまりはまると奥さんからパソコン禁止令がでますよ。パチンコと同じように。
2010年1月19日
- アートロンガ松本さんに敬意・・・改めてQHMはすごい
『わかくさ』は法人設立25周年。無認可作業所時代から数えると35年を迎える。
2月には記念事業第1弾として、原田泰治さんの絵画をメインに絵画展を開催する。
この企画の、押し売り、押し付けは、アートロンガの松本社長だ。
寝屋川市の『ワークセンター小路』や枚方市の『わかたけ』などで、アートロンガの協力で同様の絵画展を開催し好評だった。
松本社長の誠実な営業と熱意に心を揺さぶられ、『わかくさ』も話にのった。
話はすこし違うが・・・・・
松本さんが今回、最初の営業で訪れた時、ホームページの話題になった。
私が、QHMの説明を自信満々で自慢した。
松本さんが話しに乗ってきて、QHMで自社のホームページを作成したいと言い出した。
それから、数ヶ月。ホームページが完成したという一報が本日あった。
覗いてみたら出来栄えがとってもいい。これから進化するともっと良くなる。
松本さんは凝性だ。間違いない。それでないと短期間ではこれ程にはできない。
QHMもすごい。自信をもって改めてこのソフトは推薦できる。
アートロンガのホームページはhttp://artlonga.ciao.jp/
2010年1月18日
- 君の行く道は・・・・
西岡恒也 著『道きりらくわが人生・・・・弱視から盲へ』
西岡恒也さんの3冊目になる出版記念の会が豊中市で16日に開催された。
西岡さんは大阪の障害者運動の歴史を語る時には欠かせない人だ。
1928年生まれだから80歳を越えている。
弱視者として生まれ育ち、教師、勤評闘争で免職、現場復帰、そして障害者運動。
きょうされん大阪支部運営委員長、NPO大阪障害者センター理事長など数え切れないほどの重責を担われた。また、1987年にはヘレンケラー福祉賞を受賞された。
激動の戦中、戦後を走りつづけ、その走りを、今、尚やめていない。
1997年に大阪で開催されたきょうされん第20回大阪大会では、私が大会事務局長を引き受け、当時大阪支部の運営委員長だった西岡先生と行動を共させていただいた。
どんな時も、笑い飛ばし豪快だった。先生の下で仕事ができて楽しかった。
この日の祝賀会の参加者は、
西岡先生と青春を共にした人たちが多く、殆どが70歳代という顔ぶれだ。
会の終わりにみんなで『若者たち』を歌った。
君の行く道は、果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君はいくのか そんなにしてまで
先生は100歳になったら第4巻を出版するという。
いつまでもいつまでも、ここに集った人々は若者なのだ。
2010年1月13日
- ゴキちゃんの力
グループホームから「電気が切れ復旧も出来ません。」と、一報があったのは午前8時前。
実は2日前、ブレーカーから異臭がしていると連絡があった。
休日でもあり素人の私が点検した。
わずかな異臭は確認できたが、どのブレーカーも触診では熱もない。
目視でも異常個所は発見できず様子をみることにしたばかりだ。
もうすぐ、阪神大震災のあった日だ。
あの日、早朝の地震で停電し暖房がきれ震えるような寒さだった事を思い出した。
今日もこの冬一番の寒さで、時折雪が吹き荒れている。
障害をもった人が暮す場での停電は緊急、非常事態だ。
2日前、電気屋さんに点検を依頼すべきだったと後悔である。
今日は、一刻も早い復旧を願い業者の方に修理をお願いした。
原因は、メインブレーカーの中でのゴキブリによるショートだったそうだ。
異臭は、ゴキブリのやける臭いだったのだ。
昔むかし、空き缶を潰すプレス機の電気をゴキブリが止めた事があった。
ゴキちゃんの力は侮(あなど)れない。
2010年1月3日
- 2010年 新政権の下での新年に思う
おれが大将ドンチャラドンチャラ太鼓を鳴らし
そばから、調子ハズレの三味線ひいて
横から、主役は俺だと鈴に、ほら貝、鉦(かね)も鳴る。
少し離れて黙って聞きいるお公家さん。
しびれをきらした雷さんがムチをふる。
鳩山内閣を皮肉っての発言だ。
太鼓は国民新党・亀井静香。三味線は社民党福島瑞穂。
鈴は前原国土交通大臣。ほら貝は岡田外務大臣。鉦は藤井財務大臣。
そして、お公家さんとは鳩山首相。雷さんは小沢一郎。の事だ。
政権交代から5ヶ月。新政権に国民は大きな期待を寄せた。
しかし、予算編成や沖縄基地問題など・・・・・・対応をみているとがっかりだ。
「鳩山よ、お前もか?」と言いたくなってしまう。
昨年の選挙結果は民主政権が支持されたと言うよりも、自公政権にNOを突きつけたのだ。
だから鳩山政権のマニフェスト至上主義では、いつまでも支持は続かない。
国民が期待しているのは、反、小泉、竹中路線の行き過ぎた市場原理、新自由主義、格差社会からの転換なのだ。
鳩山政権は、下半身は市場原理主義で規制緩和を推進。上半身は自公政治路線からの変換と叫ぶ。
この政権は、上半身と下半身がねじれている。身動きがとれない。
2010年。新しい年になったが、なにもしないで暮らしがよくなる保障はどこにもない。
しかし、頑張り次第では未来が明るいことも間違いない。